山本良樹
イルカとシーカヤック
後ろに飛び出したイルカ君が見えるかなぁ
1月31日(日)6:30自宅出発と同時に携帯電話に海宝工場長より電話「今、館山道の終点です」。やたらと早い。9:00から10:00ころの出艇だと言っておいたのにーーー。「先に行っといてよ」とつれなく電話を切って、京葉道の松が丘のインターの入り口で前方300mにダブルダッチを載せた林ランクル発見。
1月15日に見たような気がするイルカを追いかけて「大中年イルカ探偵団」の結成を期して、仕事に忙しいフリがうまい山本、仕事が忙しいのに休む林、電脳オンラインから漏れている海宝の3人は、1月17日にカヌーショーで山本情報をキャッチした三澤君達が洲崎方面に出艇するとのメールに応えるべく勇躍し、素早く行動計画書を作成した。(ただ、日曜の仕事を部下に振り替えて、電話とメールを入れただけ)
さて、館山道の終点で合流した山本と林は一路館山を目指しながらも、途中の南無谷海岸でキャンプしているという三澤くんのテントに立ち寄る。この時8:30だったが、でっかいマンタの死体が打ち寄せる浜のテントに大きな声をかけて起こす。
浜は風もなく、波もなく、静かな朝である。彼らはこの浜から出艇し見物海岸で撤収するというので、同行の村山くんのバイク(沖縄ナンバー)を回送しておくというので、モービル号、バイクを引き連れて見物海岸へ移動。先に到着していた海宝工場長は七輪でお茶しながら待っていた。
この日は若潮マラソンという松戸のレースやホノルルマラソンのような市民マラソンの当日で、道路が通れなくなるとまずいとバイクを残してモービル号は出発地に帰る。
10時に山本と海宝の2名が出艇。林電脳班長は風邪の名残が抜け切れず料理長として残り、アマ無線で三澤さんと交信し、特定小電力で我々に中継するという無線中継局長も兼務することとなった。
今回のイルカ探偵団にはBINIさんも参加、マリンモービルしてました
出艇した我々「大中年イルカ探偵団」の2艇はまずは洲崎を目指す。寒くなく風なく波なく海はあくまでも澄み切ってこの季節では珍しいコンディション。これだけでも出艇した甲斐があるというもの。のんびりと洲崎まで50分ほどで到着し、突端から東京湾に向かって大きく沖に回りながら大房岬方面に漕いで行けばそのうちに沖で三澤くんたちと合流するつもり。
56cmという細い艇に乗る海宝工場長は洲崎の突端の沖でのうねりにちょっと神経質だったが、沖合を戻るにつれて小さくなるうねりに段々と笑い声が大きくなってくる。
しかし、11chのトランシーバーは林さんと交信できない。ふたりで遠くの船を眺めるが視点の低いカヤックからカヤックを見つけるのは至難の技。
「気持ち良いなあ、でもイルカはどこだ」を繰り返すふたり。
「カメラなんか用意した時には会えないよ、むしろ何も持ってないときにバッタリ会うものだよ」とほざく山本。
マリンVHFからは中の瀬航路に入る大型船と保安庁水路部との交信が忙しく聞こえる。
12:30になかなか落ち合えないので海宝工場長は浜にもどる。山本は更に30分見物海岸の沖で待つがカヤックは見えない。
でもって浜に戻ると彼らは大房岬を越えたらそのまま沖ノ島に向かって回り込んだとのこと。それならと艇を引き上げ昼飯の前に道路を走るマラソンのランナーに応援の声をかける。15年前の自分の姿だ。ホノルルや丹波のレースを思い出す。
やがて、岸寄りを漕いでくる三澤、村山そして上野さんの3艇が近づいてくる。
14:00林調理長のチャンコ鍋で昼飯。
道路では先頭が走り去って3時間たっても鈍足ジョガーがもたもたとレースを続けている。
イルカには会えなくても「すのさきやー」(SUNOSAKIER)になりたいという3人は片道30分だからという山本と海宝の言葉にのせられて出艇。僕らは彼らの帰りを寝て待っていることにした。
心地好い太陽と満腹とで工場長はイビキの演奏をはじめ、山本は電脳班長にモバイルギアのインターネット設定のやり直しをしてもらっていると、僕らをチラチラ見ながら行きつ戻りつするおじさんがいる。やがて意を決したようにやって来て「さっき洲崎を漕いでいたでしょ」
「ええ、漕いでました」
「目の前で帰っていくんだもの」
「はい?なんでしょう」
「いや、僕らも漕いでたのよ、どこかのクラブ?」
「はい矢木沢倶楽部といいます」
「ふーん、僕は一応zenのグループなんだけど、イルカと遊んでたら見えたので、こっちに来るんだなーって話してたら目の前で戻っていっちゃったからーー」
「えーーーーっ」
「もう、本当に目の前で」
「いやー、見えなかったなー」
「いつもあそこで遊んでんのよ、この間も連れがパンの残りをやったらパクリと食べて尾ビレでバウを叩いて行っちまった」「夕暮れ時なんかはもうザブンザブン遊びまわって最高だから」
「えーーーっ」
「明日はzenでツーリングにここから出るから、一緒に行けば」
「いや、明日は仕事がありますから」
あとはいろいろ云々ありまして、川崎ナンバーのステージアの上に2分割にしたセドナを載せたモリドさんは去って行きました。この時、もうすぐ16時。
「プファー」と息をしたらしいイルカ君
このあと3秒間の「どうしよう」がありまして、山本の「このままじゃ寝るに寝られん」と再度の出艇を決意。その熱き想いは工場長も巻き込みあわてて車から洗い終わった艇を降ろす。
再度の出艇は16:05、すぐに11chで林さんから「三澤さんは帰りかけているところだけど、それほど距離を離れているわけじゃないけど、どうしようかと言ってます」とのこと。
「もったいないからすぐ戻れと伝えて下さい」と応えて工場長とエッサエッサと漕いで行く。途中で村山くんと上野さんとすれ違う。「イルカがいるというので洲崎の向こうに行ってくるけど、行きませんか」と声をかけるが、もうほとんど到着まぎわなので漕ぎ戻る元気がない。残念そうに行き過ぎる。
我々は洲崎灯台に落ち行く夕陽とたたかうように漕いで35分後に到着。洲崎の突端の100mくらいの沖を回り込み、午前中に引き返したところからわずか100m先に三澤くんが漂っている。うねりは1〜2mで、風は微風。磯のすぐ近くに岩根があり波がブレイクしているその50mのところで三澤くんが「ここにいますよ」という。
我々があたりを見回したらすぐに三つの背ビレがみえた。「うわーっ」と声を出す我々に、「あっち」と三澤くん。今度は二つ。ちょっと沖の方で二匹の頭。今度はもっと岸寄りでまた二匹の背中。そのポイントに向かって行くとしばらく消えてしまった、と思ったら工場長と三澤くんが「山本さんのすぐ後ろ」という。振り返るが何も見えない。
と、今度は背ビレが四つ。その次に5匹が一緒にジャンプ。また、二匹がすぐ近くに頭を出して「プハーッ」と呼吸する音が聞こえる。少しばかり追いかけると三度「プハーッ」と頭を出す。
その後こんな状態を10分ほど続けて日が陰り始めたので、帰り道が見えるうちにと帰途につく。
三澤くんが漁師に聞いたところでは、一年ほど前から居ついたようで、おかげで魚が寄ってこなくなったそうです。
「いやー、いい決断をしたね。漕ぎ戻ってきた甲斐があった」と喜ぶ「大中年イルカ探偵団」であった。戻りはじめたのは17:00、日は落ちて満月が昇り、夕焼けの向こうに富士山が見えて、”夕陽、富士山、イルカ、カヤック”の絵は中々のものだったはずである。
行きは夕陽に向かって漕ぎ、帰りは満月に向かって漕ぎ戻り、浜では林無線局長が暗くなって行く中で心配して待っていてくれた。村山くんと上野さんには申し訳なく思いながら次回の雪辱戦を期して撤収。浜を後にしたのは18:00過ぎ。
帰りは満月ら向かって漕ぎ進んだのです
「大房岬の沖のクジラやイルカ」「洲崎沖のイルカ」というアバウトな噂を頼りに出艇し、一度はあきらめた遭遇だったけどモリドさんの親切でやっと遭遇成功。そして、ピンポイントで場所が特定することができて大きな収穫でした。洲崎灯台から外側の磯から見える距離に泳ぐイルカは御蔵島までいかなくても見ることができます。
もう少し近くからの出艇場所を探そうかとも思っています。また、家族を連れて来ても磯から見物できます。
今後の展開が楽しみです。
「大中年イルカ探偵団」 山本良樹
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